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STORY

オリエンタルホテルロビー階、クラブラウンジ入り口の両脇にある、一対の壺。「土に還る器」と名付けられたこのシリーズの中でもとりわけ大きく、圧倒的な存在感を放つ。この壺は、沖縄北部の「やんばる」と呼ばれるエリアで作陶する、紺野乃芙子さんによる作品。美しくなめらかなカーブを描く表面からは、土が本来持つ荒々しさと、土地の温度が感じられる。何より特徴的なのは、その色と質感。このユニークな肌感は、粘土に豚の血を混ぜて焼成されることによって生まれている。
紺野さんはなぜ、「土に還る器」を作ろうと考えたのか。なぜ、豚の血が使われているのか。独創的な作品作りへの思いを探るべく、お話をうかがった。

 「土に還る」と「日常で使える」をつなぐ答えは、「血」だった

土に還る器(作 紺野乃芙子)
土に還る器
紺野乃芙子さん
紺野乃芙子さん
土に還る器(作 紺野乃芙子)
土に還る器(作 紺野乃芙子)

シリーズのタイトル「土に還る器」は概念などではなく、実際に土に還すことができることに由来する。いつか器が役目を終えた時には、自然に戻すことができるのだ。その秘密は、土を焼く時の温度にある。

「このシリーズは、一般的な焼きものと比べてかなり低い温度で焼き上げた『土器』なんです。ふつう、日常で使う陶器は、高温で焼成することで粘土をガラス化させます。丈夫で水漏れがしない器に仕上がるのですが、一度ガラス化すると元の状態に戻すことはできません。このシリーズでは、ガラス化を避けることで、焼き上げた後でも土に還すことができるよう制作しました」

一般的な焼きものは、高温(約1200℃以上)で焼くことによって、粘土の中の成分や表面に塗る釉薬(ゆうやく)が化学反応を起こし、土をガラス化させる。そうすることで土が収縮し、強度のある器に仕上がる。一方で、低温(約1000℃以下)で焼いてガラス化しない状態に仕上げた器は「土器」と呼ばれる。つまり土器は本来、壊れやすくて水分を溜めることができない、現代の日常使いには向かない製品なのだ。

「土に還る器を作りたい。といってもオブジェなどではなく、日常でちゃんと使える器にしたい。この2つは相反する願いなので、実現は不可能なんですよね。でも何か方法はないだろうかとずっと考え続けてきました。そして辿り着いたのが、豚の血を使うことだったのです」

沖縄にはかつて、各家庭で豚を飼育し、お祝いの時には豚をさばいてみんなでいただく習慣があった。「鳴き声以外は全て食べられる」と言われる豚は、肉だけでなく骨や内臓、そして血を使う料理が現代にも受け継がれている。

紺野さんはある時、この豚の血が、昔は食べること以外にも使われていたことを知った。血の撥水性を利用して、舟底や網などの防水加工に使用されていたそうだ。この性質は焼きものにも応用できるのではないか。そう考えたことから、紺野さんの挑戦が始まった。

きっかけは膨大な失敗作の山。
「なんとか循環させられないか」

紺野乃芙子さん、やんばるのアトリエ
自然豊かな環境にあるやんばるのアトリエ
陶芸に適した沖縄北部の粘土層
陶芸に適した沖縄北部の粘土層
独特の色合いや質感が人気の紺野乃芙子さんの作品群
独特の色合いや質感が人気の紺野さんの作品群

紺野さんは大阪府出身。高校卒業後、沖縄の芸術大学へ進学して陶芸を学んだ。そこで目にしたのが、大量に廃棄される失敗作の陶器たち。つまり「ゴミ」だった。大学では、4学年の学生が出した陶器のゴミがまとめて山積みされており、その光景を見ては辟易としていたのだそう。

「陶芸を続けていけば、これからも失敗作を捨て続ける。陶器はリサイクルできないので、捨てれば産業廃棄物になります。死ぬまでに私はどれだけのゴミを出すのだろう。そう思ったら、なんとか循環させることはできないかと考えずにはいられませんでした」

大学を卒業した紺野さんは、1年間、研修生として大学に残った。その期間に、知人の紹介から、沖縄北部のやんばるで新しく窯を作ることに。薪窯の完成と同時に拠点をやんばるへ移し、陶芸の活動を始めた。 沖縄本島は、エリアによって地質が異なる。南部は柔らかくて脆(もろ)い土、北部は熱に強くて丈夫な土で構成されており、焼きものにはぴったりの場所だった。

やんばるの土や沖縄の素材を使った紺野さんの作品は、独特の色合いや質感が人気となり、作家として充実した日々を歩む。それでも常に「土に還る器を作りたい」という思いは持ち続けていた。 やんばるで暮らしていく中で様々な人と触れ合い、情報に耳を傾けて過ごしているうちに、ついに「血」という答えを見つけたのだ。

焼いては砕き、何度も焼き直す。
日常使いができる器になるまで

粘土を捏ねる
粘土を捏ねる
低温焼きの試行錯誤
低温焼きの試行錯誤
器は砕いて再利用する
器は砕いて再利用する

「初めて粘土に血を混ぜた時のことは忘れられません。これまで親しんできた粘土とは全く別の、”謎の物体”に変わったんです。言葉ではうまく表せないのですが、その感触から、これならできる!と直感しました」

「土に還る器」の制作を始めた頃、世の中はコロナ禍に入ったばかりだった。工房にこもって研究するにはちょうど良いタイミングだったと振り返る。
土に還すためには、ガラス化をさせないよう低温で焼かなければならない。低温といっても、どれくらいの温度まで下げれば良いのか。もはや焼かないほうが良いのではないか、と思い詰めたこともあったそう。低温にすればするほど、仕上がりは脆(もろ)くなる。しかし、それでは実用性が失われる。

「土器は本来、水を浸透させます。また、飾るだけの作品であればそこまでの強度は求められません。そんな土器を、現代の生活でもちゃんと使える、丈夫で水分が漏れない新しい土器に進化させられないかと。焼きものを知っている人からすれば夢のような話なんですけどね」

納得できる作品に仕上がるまで、試行錯誤の日々は長く続いた。何度も温度を調整しながら焼き、うまくいかなかったものは砕いて木の臼ですりつぶし、また粘土に戻す。そんな工程を無限に繰り返した。時には、一度展示会に出して戻ってきた器でさえ、砕いて焼き直すこともあった。ガラス化していない器は、こうして何度でも焼き直せるのだ。

土に還る器
土に還る器

 「土に還る器」は未完成。続けていくことの意味とは

「このシリーズは、まだ完成していないと思っています。というより、何をもって完成なのかは誰にもわからない。例えば、血を焼くということ。血液の専門家でも、血を焼いたことはないですよね。動物性タンパク質なので、紫外線に当たると色が変わりますし、使用していくことによって薄くなってしまいます。どうすればタンパク質を強くできるのか、ずっと改良を続けていくつもりです」

「土に還る器」の制作には、さらに難点がある。それは、気温が低い冬の間しか制作ができないことだ。ナマモノである血は、沖縄の夏の暑さの中で扱うことができない。 また、近年は沖縄県内でも豚の血を入手することが困難になってきている。原料となる血をいつ入手できるかによって、制作のスケジュールも手順も大きく振り回される。とにかく一筋縄ではいかない。 それでも紺野さんがこの制作を続けていきたいと考えるのは、なぜだろうか。

「不可能だと決めつけてしまったら、そこから進むことはありません。続けてさえいれば、いつか解決の糸口はつかめるはず。一人でも多くの人の目に触れて、もし関心を持ってくれる人が現れれば、情報をつかむチャンスも広がります」

紺野乃芙子さん

さらに紺野さんは、自身が拠点とする沖縄の文化への思いも語ってくれた。

「昔の沖縄と比べて、豚の血を食や暮らしにいかすことは少なくなっています。沖縄で生まれ育った人でさえ、血を使った料理を食べたことがない人もいるそうです。このままでは、いつかこの文化もなくなってしまうかもしれません。『土に還る器』があることで、微力ながら、現代の人々が沖縄の文化に触れるきっかけとしてもらえるかもしれないと考えています」

やんばるでしか生まれない作品との出会いを、
旅の思い出に

オリエンタルホテル沖縄の各フロアエレベーターホールに展示されている「土に還る器」(作 紺野乃芙子)
各フロアエレベーターホールに展示されている「土に還る器」

オリエンタルホテルでは、クラブラウンジの入り口、ラウンジ内、そして2024年春からは各フロアのエレベーターホールにも「土に還る器」を展示している。
これらの作品が訪れる方々の目に触れることで、紺野さんの考える「循環する制作」に少しでも興味を持ってもらえたら。当ホテルでは、そのような願いも込めて作品を選定した。そして何より、スタッフも皆、この「土に還る器」の圧倒的な存在感に魅了されている。

「オリエンタルホテルは、設備や調度品も含め、ホテル全体でやんばるの文化を大切にしていますよね。コンセプトを伺ったとき、自分の作品のテーマととても合致していると感じました。このホテルで扱ってもらえることに大きな意味を感じています」と紺野さんは話し、こう続けた。
「『土に還る器』は、沖縄にいたからこそ辿り着けた作品です。もし県外で活動していたら、豚の血の情報にも出会えなかっただろうし、もし知ったとしても血を入手することはできないでしょう。制作する際はいつも、ここ沖縄でしか作れないものを手掛けていきたいと考えています」

やんばるの土、生命のエネルギー、沖縄に古くから伝わる人々の知恵と息吹。ここでしか触れられない文化を感じられる作品たちに囲まれ、当ホテルでの滞在が特別な思い出となることを願う。

紺野乃芙子

1983年生まれ。大阪府出身。高校の行事で陶芸体験へ行き、土を焼くことで器に変わるというシンプルな現象に感動し焼きものに興味を持つ。進路指導にて「陶芸がやりたい」と教師に相談したところ、「紺野は関西を出て、沖縄くらいへ行ったほうが良い」とアドバイスを受けたことをきっかけに、沖縄芸術大学へ進学。2008年、沖縄北部「やんばる」へ拠点を移し作陶を始める。やんばるの土を原料とし、琉球藍など沖縄の素材を用いた制作を続けている。現在までに多数のシリーズを手掛けており、毎回新たな作風で注目を集めている。代表的なシリーズには、「コンノブルー」と呼ばれる琉球藍をテーマとしたものや、白を基調とした珊瑚を使用したものなどがある。

紺野乃芙子